ツタヤ兄弟電気商会創立3周年記念、お得意さまご招待旅行に出かけたときの写真。
スーツを着た人物は先代代表者。このころの店舗兼住まいは店舗部分の土間が12帖ほどの広さ。
住まいの方は6帖一間でふすまを開けるとトイレがあった。「9尺2間が振り出しで♪」という歌い出しの、
「夫婦春秋(村田英雄)」が好きだった先代代表の心情が伺える背景がここにある。
(なぜか写真の一部が切り取られている。何かに使った後か?)
知る人ぞ知る「ユニエーター温水器」。「夏80°、冬40°」のキャッチフレーズとともに一世を風靡した、太陽熱温水器である。
東京の日光温水社の特許で、近畿地区の製造販売元を始めた頃の様子。
6本のガラス瓶に光合成で藻が発生するのを防ぐため黒く塗られている。もちろん集熱効果も同時に期待できる。
製品の受け枠は木製で、改良型には表面にガラスがはめてあり、瓶の受け台に発泡スチロールが使われていた。
当時の社屋はお世辞にも社屋とは言い難い、あり合わせの材料で囲いをしたような作業場であった。
後に出てくる写真でも解るが当初は骨組みと屋根だけであった。温水器の瓶の梱包材をバラして、壁に流用していたような時代である。
リサイクルが徹底していた時代でもある。この時代が有ればこそ今があるのです。
上で紹介したとおり、社屋が建てられて間もない頃、実際に骨組みと屋根だけだが、社名の入った表札が掛かっている。
この後従業員がそろって廃材利用で壁を張る様子があります。社屋の前にあるのは3輪の軽自動車、一世を風靡したダイハツのミゼットではなく、マツダの車である。
その前で姿勢良く立っているのは現・代表者である。心配そうに見守る祖母がその後にいる。
従業員総出で社屋の壁を張っている様子である。社屋の前には温水器の瓶を運んできた梱包材が積まれている。
これをバラして交互に貼り付け、最後に防腐剤を塗布している様子である。社屋も製品も全部手作りの時代である。
水道工事を始めて買った、初めての4輪車、いわゆる軽トラである。安定性は増すものの小回りでは3輪にかなわない。
このころの軽トラではまだまだ登れない坂道がたくさんあった。国道の坂道でさえバックで登らないと登り切れないのも常であった。
もちろん積載量を守っていれば登れたのかも知れないが、そんなことをとやかく言う時代ではなかったようだ。
小回りでは4輪に負けない。ツタヤ兄弟商会の一時代を担った軽3輪である。幌にはユニエーターのキャッチフレーズが書いてあり、
後の車には街宣用のスピーカーが装備されている。この車に荷物を山積みにして、遠くは兵庫県や和歌山県などにも工事に行ったそうだ。
国鉄(現・JR)山崎駅の日本通運の集出荷場で貨物車から温水器用のガラス瓶を荷受けする軽3輪。
まさかと思うくらいたくさん積んでいるのがわかる。会社までは徒歩3分の距離なので滅多なことはないだろうが、
今の時代こんな事をしていたら大変なことである。古き良き時代の一風景である。
まさか、国道を走るときにはこれほどまでに積んでませんのでご安心下さい。
大口の需要施設にてユニエーター工事中の様子、20台余りが並んで壮観である。
省エネの先駆けとも言うべきこの製品は、時代にマッチしたこともあり爆発的に普及した。
特許が切れる10年後には大手メーカーも参入を始めた。積水ヒーターや農協ヒーターなどが次々と出現。
そのころはソーラーなんて外来語はまったく受け入れられなかったのだろうか、使われていない。
改良型のユニエーター、整然と並ぶ様子が美しい。後に、シスターンタンクを擁する自動給水形の製品も出現するが、この当時は手動式である。
揚水を開始して水があふれたら止めるという原始的なものが主流だった。また、上り下りとも同じ管を使ってできるので経済的でもあった。
この製品は左上のタンクを利用して自動給水にしているようだ。この方式には登り配管と下り配管の2本の管が必要だが、使った分だけ補給してくれるので取り扱いが楽である。
一般家庭に設置されたユニエーターの様子。一番簡単な1管方式を採用している。あふれてきたら止めるのだ。
こんな製品を今時販売していたらなんと言われるか・・・ この時代ほとんどが井水をポンプアップしていた時代なので特に問題がなかったのだろう。
井水のポンプ工事とユニエーターの工事で上下儲けていた時代である。:-b
京都府経済連の展示会に出展した当時の写真。この後も躍進を続け、大阪国際見本市にも出展することになる。
常陸宮ご夫妻との記念写真もあったのだがどこへ行ったのやら、見つかりましたら掲載しようと思っています。
社屋を裏側から見た様子。実は裏には居宅があって、左の屋根にはユニエーターが設置されている。
裏の広場は作業場で、製造中のユニエーターの箱と山積みになった瓶が有る。
その向こうに電気屋時代からの先代の足だったHONDAのドリーム号C70が見える。
このコーナーの写真は当時のアルバムから抜粋してスキャナにて取り込み。 かなりセピア色だったがフォトショップにてグレースケールに変換後、アンシャープマスクをかけている。 Web用に72dpiで取り込んだ写真をそのままの大きさで掲載しています。